うぇあばうつ

ゆくえの行方

はじまってもない人生が終わったような

 今回は、今週のお題「人生変わった瞬間」というもので、書きます。
 もう完全に日記じゃねえ……。しかし、誰がなに言ったって気にすんな。

 人生が変わった、といえばまあ、うつ病にかかったことでしょうかね。もう15年以上も前の話です。

 とはいえ、それまでのことをあんまり覚えていないので(それ以降のこともあんまり覚えてないけど)、人生が変わったというのか、終わったというのか。

 はじまってもない人生が終わった……、そんな感じでした。

 うつ病と診断されたのは、高校生のときでした。それまでは風邪と忌引き以外で学校を休んだことのないわたしが、ある朝なぜか突然「学校に行きたくない!」と泣き喚いたのです。

 どうして学校に行きたくないと思ったのか、まったくわかりません。
 いじめに遭っていたわけでもないし、友達も数人はいたし、勉強が好きでほっといてもいくらでも勉強をしていたので成績もよく、教師にもかわいがられていたほうだと思います。

 さてその数年前に過労でうつ病になった経験を持つ父は、わたしを精神科に連れていきました。
 さすがに初診では「自律神経失調症」と言われたような覚えもありますが、わりとすぐに「うつ病ですね」と言われました。そして投薬治療が始まりました。

 ところがわたしは体質なのかなんなのか、抗うつ剤が効かないのです。今も寛解していないので薬を飲んでいるわけですが、15年を超える通院の中で、次から次へといろいろな抗うつ剤を試したものの、薬効を感じたことは一度もありません。でも副作用は出るっていう。

 結局、わたしは不登校になりました。そのまま留年したのちに、退学。
 それでも、どうしても大学に行って数学を学びたかったわたしは、高卒認定試験をとって大学へ進学しました。

 キャンパスライフは、それはそれは悲惨なものでした。講義中に泣き喚きだしたり、プロムナードでぶっ倒れたり、お手洗いの個室にこもってアームカットをしたり……。

 クラスメイトには「キ×ガイ」と呼ばれ、恋人(いま思えばよくそんな状態のわたしと付きあったな、あんた……、と思いますが、彼もクラスメイトでした)には「好きな子ができた」とフラれ、そしてその「好きな子」は在学中に自殺してしまいました。
 さらに、懇意にしていたサークルの先輩も、卒業して他大学の院に行って程なくして、自殺してしまいました。

 そしてわたしもまた、自殺を図ったのですが、未遂に終わりました。

「あの子(先に書いた、恋人が好きになった相手)は、誰にも気づかれないぐらいに耐えて頑張っていた。耐えて耐えて耐えて、そして耐えきれなくなって、自死を選んだ」

「でもお前はただの構ってちゃんじゃないか。どうせ未遂を狙ってやったんだろう」

 これは、当時お付きあいしていた恋人からかけられた言葉です(「あの子」を好きになってわたしをフッたのとは、別のかたです)。
(ちなみにわたしの自殺未遂は、彼女の自殺よりも前のことでした)

 未遂するつもりなんてなかった。あのときは、ほんとうに、死んでしまうつもりだった。……というより、もう錯乱状態になっていました。だからこそ未遂に終わったのかも、しれませんが。

 しかも、某掲示板の「自殺したい人が集うスレッド」に、「自殺を図ったけれど未遂に終わってしまった」と書き込んだら、アンカーありでこんなレスがつきました。

「死ぬ気がないからだろ、構ってちゃん」

 そのスレッドは、自殺を望む人や自殺が未遂に終わった人に対して、こういったレスはまずつかない場所でした。むしろ他の人の書き込みには、優しいレスがついていたのです。
 それなのに、なぜかわたしの書き込みに限って、そんなレスがついて、ひどく落ち込みました。

 そして、ムカつきました。もう絶対に自殺なんてしない。だって、ムカつくから。未遂に終われば「構ってちゃん」、完遂すれば「迷惑かけんな」と、言われる……。
 もし完遂したら、死んだあとのことなんてわたしには感知しようがないのですが、それでも死んだあとにごちゃごちゃ言われることを想像すると、とにもかくにもムカついて仕方ないのです。

 もちろん、もう自殺しないぞ、と思っている理由は他にもあります。もしも死んでしまったら……、

  • syrup16g の曲が聴けないしライブにも行けない
  • 創作できない
  • 作家になる夢を絶対に叶えられなくなる(いや、生きてたって叶えられるかどうかはわかりませんけれども)
  • わたしを好いてくれる人を悲しませてしまう

 なにより、どうしたっていずれは死ぬのです……、たぶん。だったら「その日まで生きてやろう」と。

 わたしは「うつ病になってよかった」とは、微塵も思っていません。病気なんて、かかるよりかからないほうが、マシに決まっています。
 けれど、なってしまったものはしょうがないです。それに幸い、寛解してはいませんが、15年前に比べれば遥かにマシになりました。

 生きんのがツラいとかしんどいとかめんどくさいとか、言いたいときだって、たくさんあります。けれど同時に、愛しかないとか思っちゃうヤバい、って思ったことも、少ないながらも、あります。

 だから、生きよう……。っていうか、生きます。

Nov. 27th, 2022
本日の1曲:今日も生きたね / THE NOVEMBERS